ミニマリズムのすゝめ
結論から言おう。私はミニマリストが嫌いだ。
正確に言うと、ただ物が少ないだけのことをミニマルと表現する輩が嫌いだ。
昨今のサステナビリティに対する注目度の上昇も相まってか〝自称〟ミニマリストが増えたように感じる。
確かに物が少ないと整理されて見えるし、モノトーンに空間を形成していけば〝簡単に〟小綺麗な印象を与えることができる。
カーテンやテーブルなんかをニトリで買って、Tシャツとジーンズを2~3着ユニクロで買ってしまえばミニマリストの完成だ!
なんて簡単な丁寧な暮らしだろう!!
私はふと疑問に思う
ミニマリズムってそれでいいの?
それって余裕がなくてものを買えないことだったり、本当にいい物が分からないからそれしか買わない人と何が違うの?
結局お金をかけられない、もしくはかけ方が分からないことをミニマリズムなんていうかっこいい横文字でカモフラージュしてるだけじゃないの?
〝本物の〟ミニマリズムが私は好きだ。
以下の写真を見て欲しい。
これは隈研吾氏の建築で有名な富山ガラス美術館の一角にある待合スペースである。
数字の書かれていない時計、線の細いベンチ、控えめな照明。それらが強調する美しい女性の絵画。
誰かを待っているような退屈な表情がこの空間に非常にマッチしていた。
真のミニマリズムには主役を引き立たせる能力がある。
そしてここで注意すべきなのが、脇役にも良いものを使う必要があるということだ。
いい空間を作るには最高の主役とそれに見合ったレベルの高い名脇役が必要なのだ。
つまり、ミニマリストになるにはよりよいものを知っていく必要があるのだ。
物が少ないことはミニマリズムに直結しない。
むしろたくさんの物に触れることの方がミニマリストになる秘訣なのだと私は思う。