5月22日
〝ゲレンデマジック〟について
ゲレンデマジックとは、スキー場で異性が何割増かで素敵に見えるという効果のことである
この理由は諸説あるが、ダボッとしたスキーウェア、大きなゴーグルとニット帽で顔のほとんどが隠れてしまうから、自分の理想を投影してしまうという説が有名だ
実はこの効果は、東洋の芸術においても広く使われている(こんなことを言うと本当に怒られてしまうので内輪だけで済ませておきたい)
最も美しい屏風の1つとされる長谷川等伯氏の〝松林図〟には白い雲が描かれている
この雲に隠された部分に干渉者が脳内で自分の考えうる絶景を投影することで、この屏風は完成する
東洋の芸術品を鑑賞する時、〝白〟に着目することで新しい視点を得ることができることもある
音楽なのに1音も発さない、特異な曲だ
ケージによれば、4分33秒間の“無音”を聴くのではなく、4分33秒間の静寂な環境となった演奏会場で聴こえる、人の呼吸や級長など、普段は全く意識しない音に心を向けさせることを意図したものだという。すると雑音は音楽になり、また演奏者ではなく聴き手を主人公とした。音楽は音を鳴らすものという常識を覆す「無音の」音楽である。
1音も演奏することがないのに、最も高度な音楽として現代にも語り継がれる〝名曲〟だ
私の最も好きな小説の1つ、綿矢りさ氏の〝蹴りたい背中〟の語り出しでもあるように
〝さびしさは鳴る〟のだ
無音ほどうるさい音は無く、白よりも派手な色はないと言える
この日記を書いている時、以下の俳句が松尾芭蕉作ではないことを知った
松島や
ああ松島や
松島や
これは田原坊という相模の人物の吟じた〝松島図誌〟という当時の観光ガイドブックに掲載されたキャッチフレーズ的な句であるらしい
「ところで、芭蕉が松島で句を作れず、 ああ松島や松島やとつぶやいたという話がある。先に掲げたように松島で芭蕉は作句している(島々や千々にくだきて夏の海)のだが、『奥の細道』には記さないので、このような話が生まれたのだろうか。復本一郎氏の教示によれば、『松嶋図誌』(文政三年)という本に、松嶋や~さてまつしまや~(相模州田原坊)の句を収め、その後に来た芭蕉が、風景のあまりの美しさに句を読めなかったという話を載せる。直接かどうかは分からないが、この記事を混同して「ああ松島や」の話が生まれたのかもしれない」
『奥の細道行脚』
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000204432
昔から人間は脚色が好きだということがよく分かった